医療従事者への災い
第49回 医療従事者への災い
医療従事者は主として屋内で勤務していますが,医療従事者も労働者ですから,業務に関連して何らかの不具合(被害,事故,労働災害)が生じる可能性があります。皆様はどのような例が頭に思い浮かぶでしょうか?
医療従事者に独特でしょうが,まず「病気が移る」が挙げられますね。移るということは要するに感染症です。もちろん,医療従事者は感染対策として手洗いの徹底や消毒,マスク・手袋・ゴーグル・エプロンの使用など心がけていますが,残念ながら常に100%完璧に防御とはいかず,日本のどこかで医療従事者が感染してしまった事例が報告されています。感染方法として,空気感染(飛沫核感染),接触感染,外傷性感染が考えられます。必ずしも感染=発病ではありませんので発病しなければ幸いですが,残念な結果になることもあります。
時々医師や看護師が肺結核症にかかって保健所の立ち入り調査があったなんてニュースを聞きますが,これは空気感染(飛沫核感染)の一つの例だと思います。一般病棟にそれなりの期間入院中の患者さんが思いがけず肺結核症と判明した,看護師に肺結核症の発病者が出て調査したら勤務病棟に肺結核症の患者さんがいた,のような予想外の展開の場合に起こるようです。子供の頃にBCG接種を行っていると思いますが,BCG接種は幼少期しか効果がないと言われています。また,医療従事者かどうかにかかわらず,特に最近の若い方にとっては公衆衛生が向上し過ぎて結核菌に曝露する機会がほとんどないでしょうから,結核菌に対する免疫力が低く,結核菌に感染すると発病する可能性が高くなっています。幸い,抗結核薬があり,予防内服,あるいは治療として内服・注射が可能ですが,もし多剤耐性結核菌なら・・・,もし薬剤アレルギーや副作用で内服・注射が出来なかったら・・・,と考えると安心できません。感染しないに越したことはありません。
特に外来患者さんから感冒やインフルエンザ,マイコプラズマ,ウイルスなどに感染してしまうのも空気感染(飛沫核感染)の例として挙げられるでしょう。患者さんが次々とやって来る流行期には,医師や看護師は濃厚に曝露しているわけですから,マスクで防御しきれず発病しても不思議はないですね。
医師や看護師,臨床検査技師などが患者さんに使用した(患者さんの血液が触れた)注射針やメスなどで自分の手指などを傷つけたり刺したりして感染する場合があります。外傷+感染の事故です。特に問題になるのは,患者さんがB型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルス,ヒト免疫不全ウイルス,梅毒スピロヘータなどが陽性の場合です。普段から針のキャップの工夫や廃棄箱の使い方の工夫,職員教育など対策は講じられていますが,それでも危険物を扱うからには一定の割合で事故が生じてしまうと思います。外傷自体は多くの場合小さく,時間の経過とともに治癒すると思いますが,体の中に入ってしまった病原体を取り除くことは困難です。医療従事者はB型肝炎ワクチンの接種を受けていますので,既に血液中にB型肝炎抗体を持っていると思いますが,それで防御は完全ではありません。事故が起きた時にはB型肝炎に対する免疫グロブリン製剤も使えますが,それでも100%発病を抑え込むわけではありません。C型肝炎やヒト免疫不全ウイルス,梅毒スピロヘータにはワクチンはありませんし,治療薬の予防内服の効果は今一つ定かではないと思います。結局は発病しないか事故後経過を見るしかありません。劇症肝炎を発症して死亡した事例もあります。元に戻すことは出来ない怖い事故です。ちなみに,認知症患者や障害児などによって噛みつかれたという事故を時々耳にします。これも外傷+感染の可能性のある事故と言えます。
患者さんからの血液や体液,糞尿などを処理している際に飛び散って目に入ってしまって病気に感染したという話を聞きます。接触感染の一例ですね。また,感染ではありませんが,臓器,組織の固定のために漬けるホルマリンが目に入ったという話も聞きます。マスクだけでなく,ゴーグルや覆面も着用するよう教育されるのですが,それでも隙間から入ってしまった事例を聞いたことがあります。
最近の医療機関は外来,病棟,検査室,会計などどこもパソコン,モニターだらけで,業務のほとんどはシステム入力を通じて行われています。電子カルテも大分広まっていますね。日中,特に医師や看護師,会計は目を酷使してモニターと格闘しています。また,病理・細胞検査や血液検査,細菌検査なども目を凝らして顕微鏡を覗く業務で,やはり目を酷使します。これらは眼精疲労だけでなく視力低下(近視)にもなってしまう可能性があります。疲労や肩こり,腰痛,頭痛,全身倦怠感なども生じるかもしれませんね。災害と言えば大げさに聞こえるかもしれませんが,視力は低下すると元に戻りません(実際私がそうです)。
その他に,看護師など重いものを持ち上げる作業をする方には,腰痛や肩こりなどで悩まされるかもしれません。そもそも病院には薬剤,薬品がごろごろありますが,それらに対する過敏症が出てしまう方もいると考えられます。たまに,患者さんからの暴力で傷害,死亡という事例を聞きます。肉体的な災いだけではありませんね。対人サービスである以上,もしかしたら精神的に病んでしまう確率は一般よりも高いかもしれません。
災いのないよう常に心掛けたいものです。
ちなみに,病院の部署によっては毒物,劇物を扱うという話を第33回でさせていただきましたが,それで健康被害を生じたという話を私は聞いたことがありません。特殊健康診断で異常値が出た話も知りません。病院は工場じゃあありませんからね。濃度も低いし,使用量も少ないことから総合的な曝露量が少ないのでしょう。工場の感覚の法律を病院にそのままあてはめるのは無理があるのでしょう。